
「やるしかなかった」から始まった訪問看護事業~渡部貴子さんが利用者のために動き続けた理由~
2013年、渡部貴子さんは約3か月で訪問看護事業を引き継ぎました。起業願望や十分な準備があったわけではありません。それでも動き続けたのは、支援を必要とする利用者の生活を止めないためでした。想定外の困難を越えた経験と、「なんとかなる」という言葉に込められた重みをたどります。
桂乃貴メンタルヘルスケア株式会社代表取締役で、精神科認定看護師の渡部貴子さんは、2013年に訪問看護事業を独立させました。しかし、その出発点は「いつか社長になりたい」という計画があったわけではありません。本人の言葉では、会社は「事故みたいな感じ」で始まりました。
準備期間は約3か月。資金計画も、会社経営の知識も、十分に整っていたわけではありません。それでも引き受けた理由は明確でした。すでに訪問看護を必要としている利用者がいて、支援を途切れさせるわけにはいかなかったからです。
突然の独立で渡部さんが優先したもの
渡部さんの判断基準は、起業の成功可能性を先に計算することではなく、「今ここで支援を止めたら、利用者の生活と医療はどうなるか」を考えることでした。将来が見えない場面でも、目の前にいる人をないがしろにしない。その一点が、独立を決める軸になりました。
起業を目指していたわけではなかった
独立前、渡部さんは在宅医療に取り組む医療法人を支援し、往診に伴う訪問看護部門にも関わっていました。ところが、その法人が事業の整理を進めることになり、訪問看護部門の扱いが急に宙に浮きます。
そこで渡部さんに持ちかけられたのが、部門を引き受けて自分で運営するという話でした。自ら事業計画を立てて選んだ独立ではありません。看護師として働き続けるつもりで、経営者になる願望もなかったと振り返ります。
本来なら、理念や屋号、サービスの形を時間をかけて決める創業もあります。しかし渡部さんの場合は、先に守るべき現場がありました。利用者への訪問を止めずに、新しい運営体制へ移す必要があったのです。考え抜いてから動くのではなく、動きながら必要なものを整えるしかありませんでした。
「やるしかない」の中で見えてきた経営の現実
立ち上げを進めると、当初聞いていた引き継ぎ内容とは異なる条件や、資金に関する想定外の話も出てきました。会社の作り方も、事業を引き継ぐ際の商習慣も分からない。渡部さんは、自分を「世間知らずだった」と率直に振り返ります。
それでも、状況を見かねた周囲の人たちが動きました。以前から取引のあった業者は、開業に必要な実務を支えました。親しい税理士は、会社設立や資金面の整理を助けてくれました。そして、当時一緒に働いていた看護師たちは、新しい体制にもついてきてくれました。
「つらいとか言っている場合ではなく、とにかくやるしかなかった。でも振り返ると、いざという時はいろいろな人が助けてくれたんです」
結果として、渡部さんは想定されていた負担をそのまま抱え込まずに済み、必要な資金も確保しながら事業を始めることができました。本人はそれを「ラッキーだった」と表現します。しかし、その助けは独立当日に突然生まれたものではありません。独立前から築いていた関係や、目の前の利用者のために動き続ける姿勢が、予期せぬ局面で周囲の協力を引き寄せたとも言えます。
必要としている人がいるなら、引き受けよう
渡部さんは、創業時に大きな志があったわけではないと話します。ただ、利用者がいる。自分たちがいなければ、日々の生活や医療が回らない人たちがいる。その現実に向き合い、目の前の責任を果たすことに必死でした。
訪問看護事業所が今ほど多くなかった当時、別の事業者へ簡単に利用者を振り分けることもできませんでした。だからこそ、渡部さんたちは「やるしかない」と動き続けました。その積み重ねの中で、会社の役割が少しずつ明確になっていきます。
その後、一般的な高齢者向け訪問看護だけでは十分に支えきれなかった精神疾患のある人たちに目を向けます。同じ医療職であっても、精神科領域に苦手意識を持つ人は少なくありません。誰も積極的に引き受けたがらない状況の中で、渡部さんは「精神科ができる訪問看護ステーション」として支援を打ち出していきました。
必要としている人がいるのに、支える側がいない。ならば、うちがやっていく。この利用者第一の姿勢は、ハートフルが精神科訪問看護の領域で信頼を重ねてきた理由の一つです。精神疾患や認知症のある人が、退院後も地域で暮らし続けるためには、医療だけでなく生活を支える専門職の存在が欠かせません。渡部さんの歩みは、その必要性に真正面から応えてきたものでもあります。
「なんとかなる」に込められた背景
一連の経験から得たものを尋ねると、渡部さんは「なんとかなる」と答えました。この言葉には、簡単に物事を楽観する響きとは違う重みがあります。
何もしなくても状況が自然に好転したわけではありません。利用者を置き去りにせず、分からないことを周囲に聞き、必要な手続きを一つずつ進め、目の前の実務に向き合い続けた。その過程を見ていた人たちが、業者として、専門家として、仲間として手を貸してくれました。
「なんとかなる」は、先が見えない中でも目の前のことから逃げず、がむしゃらに動き続けた人だけが後から口にできる実感です。これまで築いてきた信頼関係と、目の前の人を守ろうとする姿勢があったからこそ、困ったときに支えてくれる人が現れたのです。
- 完璧な準備が整っていなくても、目の前の責任から離れない
- 利用者の生活と医療を止めないことを最優先に考える
- 分からないことを一人で抱え込まず、専門家や取引先の力を借りる
- 必要としている人がいるなら、自分たちの役割として引き受ける
- 平時から築いてきた信頼関係を大切にする
突然の判断を迫られたとき、すべての情報がそろうことは多くありません。その中で必要なのは、未来を完全に予測することより、何を守るかを決めることです。渡部さんの場合、それは利用者の生活と、共に働く人たちでした。
利用者のために動き続けた先に、事業の意味が形になった
桂乃貴メンタルヘルスケア株式会社の始まりは、計画的な起業物語ではありませんでした。突然の引き継ぎ、短い準備期間、資金や契約への不安。その中で渡部さんが選び続けたのは、利用者への支援を止めないことでした。
やがてその姿勢は、精神科訪問看護という領域にもつながっていきます。一般的な訪問看護だけでは支えきれなかった人たちがいる。精神疾患や認知症があっても、地域で暮らし続けたい人たちがいる。その現実に対して、渡部さんは「うちがやっていく」と向き合い続けてきました。
渡部さんの「なんとかなる」という言葉には、責任を手放さず、人を頼りながら、目の前のことを一つずつ進めてきた経験が込められています。必要としている人のために動き続けること。その積み重ねが、会社の役割を形づくり、精神科訪問看護の現場を支える力になっています。
相談できること
- 精神疾患や認知症のある方への訪問看護と地域生活支援
- 退院後の療養、生活の立て直し、社会復帰に向けた支援
- 精神科看護に関する研修、講演、人材育成
- 家族や支援者を含めたメンタルヘルスの相談
- 精神科訪問看護の組織づくりや現場教育
KONOKI | 桂乃貴メンタルヘルスケア株式会社
ハートフル訪問看護ステーション中目黒については、以下よりご覧いただけます。
取材・執筆 高橋麻純
インタビュー対象者
渡部貴子さん
桂乃貴メンタルヘルスケア株式会社 / 代表取締役
この記事が参考になりましたか?
参考になったら「いいね」で応援できます。
現在 2 件のいいね
コメント
まだコメントはありません
この記事を読んで参考になった点や改善点をシェアしましょう
