
「お坊さんなのに髪の毛があるんですか?」浄土真宗の女性僧侶が答える、結婚・お酒・法名のこと
「お坊さんなのに髪の毛があっていいんですか?」「結婚やお酒は大丈夫なんですか?」——浄土真宗本願寺派の僧侶であることをお話しすると、よくこんな質問をいただきます。実は、僧侶の暮らしや考え方は宗派によってさまざまです。今回は、髪の毛や結婚、食べ物、戒名と呼ばない理由など、よく聞かれる素朴な疑問に、女性僧侶である私自身の経験も交えながらお答えします。
「私、お坊さんなんです」
そうお話すると、7割くらいの確率で聞かれる質問があります。
「え、お坊さんなのに髪の毛があっていいんですか?」
私が僧侶であることをお伝えしたときに、聞かれる質問No.1です。
ほかにも、
「お坊さんって結婚していいんですか?」
「お酒を飲んでもいいんですか?」
「亡くなったら戒名をつけてもらうんですよね?」
など、いろいろな質問をいただきます。
私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。
今回は、普段よく聞かれる「お坊さんについての素朴な疑問」について、私自身の経験も交えながらお答えしてみたいと思います。
お坊さんなのに、髪の毛があっていいんですか?
結論からいうと、大丈夫です。
浄土真宗では、得度して僧侶になったあとも、ずっと剃髪を続けなければならないという決まりはありません。
もちろん、現在は他宗派にも髪を伸ばしている僧侶はいらっしゃるため、「髪がある僧侶は浄土真宗だけ」とまでは言えません。
ただ、僧侶が社会の中で生活しながら髪を伸ばしている姿が比較的一般的に見られることは、浄土真宗の特徴の一つです。
浄土真宗は、世俗を離れて山にこもって修行するというよりも、家庭や仕事を持ちながら、日常生活の中で仏法を聞いていくことを大切にしてきた宗派です。
とはいえ、僧侶になる際にもまったく髪を剃らないわけではありません。
本願寺派では、僧侶になる「得度」にあたり、講習や考査、研修などを受け、仏教や浄土真宗の教え、勤式作法などについて学びます。
私が研修を受けたときも、男性は剃髪して参加していました。
女性の場合は頭髪をすべて剃る必要はなく、私の場合は得度の儀式の中で、うなじに剃刀を当てていただきました。
実際に髪を剃り落とすというよりも、剃刀を当てることで仏弟子となる節目を表す儀式です。
そのため、ご覧の通り、現在の私も髪を伸ばしています。
お坊さんって、結婚していいんですか? お酒は?
これも、とてもよく聞かれます。
浄土真宗では、僧侶が結婚することは珍しいことではありません。
ここで関係する言葉に、「肉食妻帯(にくじきさいたい)」があります。
「肉食」とは肉や魚などを食べること、「妻帯」とは妻を持ち、家庭生活を営むことです。
つまり、僧侶が肉や魚を食べ、結婚して家庭生活を営むことを指します。
宗祖である親鸞聖人自身も結婚し、家庭を持ちながら仏道を歩みました。
ただし、これは、
「浄土真宗は何をしても自由」
という意味ではありません。
むしろ、私はここが浄土真宗の面白さでもあり、難しさでもあると思っています。
仏教には「戒律」があります。
しかし浄土真宗では、戒律を完璧に守り、自分自身の修行によって悟りに到達することを中心には置きません。
人間には煩悩があります。
欲もあれば、怒りもある。
分かっていても間違えることもありますし、自分に都合のいいように物事を見てしまうこともあります。
そんな不完全な自分自身を見つめながら仏法を聞き、
「自分はどうありたいのか」
「今の自分の行動はどうなのか」
と問い続けていく。
私自身は、そこに浄土真宗らしさを感じています。
決められたルールだけを守ればよいのではなく、自分自身を振り返り続ける。
それも、決して簡単なことではないと思います。
「戒名」ではなく「法名」と呼びます
「亡くなったら戒名をつけてもらうんですよね?」
これも、よくある質問です。
実は浄土真宗では、「戒名」ではなく「法名(ほうみょう)」と呼びます。
戒名とは、もともと「戒を受けた仏弟子としての名前」を意味します。
一方、浄土真宗では、戒律を守り抜くことで悟りを目指すという立場をとらないため、「戒名」ではなく、仏法をよりどころとして生きる仏弟子としての名前を「法名」と呼びます。
そして、もう一つ誤解されやすいのが、
法名は本来、亡くなったあとに初めてもらう名前ではない
ということです。
浄土真宗では、生きているうちに「帰敬式」という儀式を受け、法名をいただくことができます。
つまり、単なる「死後の名前」ではなく、仏弟子として生きていく者の名前なのです。
一般的には「亡くなったら戒名をもらう」というイメージが強いので、この話をすると驚かれることもあります。
女性でお寺を継ぐって、大変じゃないですか?
そして、私が女性僧侶であり、実家のお寺を継ぐ立場だとお話しすると、
「女性でお寺を継ぐって、大変じゃないですか?」
と聞かれることがあります。
もちろん、寺院、家庭、人生観によって事情はまったく違います。
ただ、お寺を継ぐということは、ただ「住職という仕事を選ぶ」というだけではありません。
どこに住むのか、どんな仕事をするのか、結婚をするのか。
人生のさまざまな選択と深く関わります。
私自身も、高校生の頃には「私がお寺を継ぐ」と決めていたものの、年齢を重ねるにつれて、恋愛や仕事、自分自身の人生との間で何度も葛藤しました。
「どうして私は、好きな人との未来を家の事情で諦めなければならないんだろう」
と家族に反発したこともあります。
それでも最終的に、私が「このお寺を継いでいこう」と心から思えるようになった大きなきっかけが、祖父の死でした。
その経験については、次の記事で詳しく書きたいと思います。
自力では悟りを開けないからこそ
僧侶というと、
「悟っていそう」
「欲がなさそう」
「怒らなさそう」
というイメージを持たれることがあります。
悟りを開いて僧侶になる方もいらっしゃいますが、悟らないと僧侶になれないわけではありません。
私もよく迷いますし、悩みます。
執着することもあれば、間違えることもあります。
僧侶になったから、人間として完成するわけではありません。
むしろ、自分には煩悩があり、完璧ではないということを知りながら、
「それでも私は、どうありたいのか」
と何度も問い直していく。
私にとって仏教は、何かを禁止するためだけのものではなく、自分自身の生き方を見つめ直すためのものでもあります。
「お坊さんなのに髪の毛があるんですか?」
そんな素朴な質問から、実は仏教の人間観や生き方の話までつながっていきます。
もし次に髪の長いお坊さんを見かけたら、
「あ、浄土真宗かな?」
なんて思い出してもらえたら嬉しいです。
関連記事
>「なんで私だけ?」 お寺を継ぐ葛藤も、すべて「ご縁」だった。
お寺を継ぐということ――女性僧侶の私が、葛藤の先で見つけた「ご縁」と生き方<
この記事が参考になりましたか?
参考になったら「いいね」で応援できます。
現在 3 件のいいね
コメント
5.0 / 5 (1件)

@exlove-tribe-8978
✓ 良かった点
このコラムを読んで、まず自分も「お坊さんは髪を剃るもの」「戒名は亡くなった後につけてもらうもの」というイメージを持っていたので、宗派によって考え方や暮らし方がこんなにも違うことに驚きました。特に法名は亡くなった後の名前ではなく、生きているうちにいただくことができるという話は初めて知りました。 その中でも一番印象に残ったのは、「決められたルールを守ればいい」ということではなく、不完全な自分自身と向き合いながら、「自分はどうありたいのか」を問い続けていくという考え方です。 人は誰でも迷ったり、間違えたり、分かっていてもできなかったりすることがあると思います。自分自身も後から「あの時こうすればよかった」と思うことがあります。だからこそ、完璧を目指すというより、その時の自分を振り返りながら次にどうするかを考えていくことが大切なのかなと感じました。 最初はお坊さんについての素朴な疑問を紹介する記事だと思って読み始めましたが、最後には自分自身の生き方についても考えさせられる内容でした。知らなかった仏教の考え方を知ると同時に、自分も時々立ち止まって「自分はどうありたいのか」を考えていきたいと思いました。
